2023年08月17日

三浦義明公「墓前祭」のご案内


鎌倉稲門会 会員の皆様へ

去る6月11日に開催した「鎌倉歴史散策」で、案内役・講師を担当していただいた和田高明さん(S47年法学卒)から、三浦義明公の「墓前祭」のご案内をいただきましたので、以下にご紹介します。

  和田さんも、もちろん参加されるとのことです。

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稲門会の皆様

6月11日の歴史散策には多くの御参加をいただきありがとうございました。

8月27日は三浦義明公の命日で、菩提寺の満昌寺において、毎年墓前祭が執り行われております。今年は没後843年目となります。御霊神社での読経、御廟所の参詣など1時間ほどの法要です。興味がおありの方は御参列なさってください。参加自由で予約は不要です。

◉日時 827日(日)10時より

◉場所 横須賀市大矢部1丁目 満昌寺

以上 ご案内まで 和田家30世 和田高明       *******************************************************************

  以上、お知らせいたします。

                              幹事長 小林敏二


  


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2023年08月14日

第74回「りんどう句会」報告

                

74回「りんどう句会」報告

2023731日(月)鎌倉芸術館にて開催) 

今回も全員参加(内2名はメール投句)、合計45句の投句がありました。当月の兼題は藪野詠子さん出題の「風鈴」。風通しの良いところに吊るし、その音色に涼気を楽しむという本意の夏の季語です。

今回も合評の場ではそれぞれの句について活発な意見交換が行われましたが、特に、千葉ふみこさんの<風鈴の音絶え瀬戸は波畳む>の句について話題になりました。愛媛県ご出身の千葉さんが、瀬戸の夕凪の状態を的確な措辞(詩歌における言葉の使い方)を使用して詠まれた佳句です。

なお、この句では、「波畳む」の解釈が分かれました。この語をWEBで検索すると、「波畳む」を使用した例句として、「波がおさまって静かになる」と解釈できる句と、「波涛を畳む」と同意の「波がさかんにわきあがって、うねりよせるさま」と解釈できる句と、両方見られました。

私自身、選句の際にこの句を「前者の意」と捉え、一旦特選に選んだのですが、広辞苑にない「波畳む」を後者の意味と捉え直し、「風鈴の音絶え」との不整合性ありとして選外としてしまいました。しかし、作者から、類語辞典で「凪」の類義語として「波畳む」を見つけたので使用したと説明いただき、それを尊重して評価するのが妥当と思われました。私の迷いでしたが、やはり特選にすべき句だったと思います。

もし、本欄の読者で、「波畳む」の意味についてご教示いただける方があれば、宜しくお願い致します。

鈴木金平さんの<気に沿はぬ風は無視して江戸風鈴>の句も、「江戸風鈴」がとても効いた面白い句として点を集めました。

また、最高得点句の、千葉ふみこさんの<病む人の手に汗の手をただ重ね>の句も、「汗の手をただ重ね」の措辞に、状況がしっかりイメージできるとの評が寄せられました。

なお、当日は句会終了後、発足満6周年記念を兼ねて、1年ぶりに暑気払いの懇親会を行いました。

次回は828日(月)、鎌倉芸術館会議室で13時から16時まで開催予定。兼題は「盂蘭盆会」(北村拓水さん出題)。兼題1句と当季雑詠2句をご用意ください。

当句会への新規入会あるいは体験参加希望の方は、鎌倉稲門会事務局あてメールでお問い合わせください。

【今月の高得点句(一部添削後。同点句は兼題優先)氏名は俳号

11点句)   病む人の手に汗の手をただ重ね      千葉ふみこ 

(7点句)  風鈴や膝枕して耳掃除           吉崎明光

(5点句)  気に沿はぬ風は無視して江戸風鈴          鈴木金平

(4点句)  風鈴の音絶え瀬戸は波畳む         千葉ふみこ 

             子かまきり一丁前の威嚇かな        田村昌恵 

          右左片蔭たどりたどり行く         高吉よしえ

           白壁に空蝉五つ競い鳴き          藪野詠子

(3点句)  風鈴に出迎へらるる医者帰り        前川たく

         草野球西瓜の浮かぶ金盥          田村昌恵

         猛暑日や今夜はカレーと夫が言ふ      高吉よしえ

         ががんぼはいづこに妻の後れ毛に      吉崎明光 

                            (吉崎明光記)

                        


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2023年07月05日

第73回「りんどう句会」報告

73回「りんどう句会」報告

2023626日(月)鎌倉芸術館にて開催) 

20176月に当句会発足以来、毎月欠かさず句会を開催、当月で7年目に入りました。前回見学者も正式に入会し、会員は15名となりました。益々充実した同好会活動を目指して行きます。

今回も全員参加(内1名はメール投句)、合計45句の投句がありました。当月の兼題は鈴木金平さん出題の初夏の季語「羅(うすもの)」。歳時記では、「紗、絽、上布など、薄く軽やかに織った織物、また、それらで仕立てた単衣(ひとえ)の総称」との説明があります。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 

鈴木真砂女(まさじょ)の「羅や人悲します恋をして」という名句を超える句が披露されるかどうか、大いに楽しみにしていました。

「羅」の似合う父の思い出を詠んだ句(千葉ふみこさん、藪野詠子さん)や、母を詠ん

だ句(手島廉雲さん「うすものを羽織る姿や母想ふ」)などが皆さんの共感を呼んだようです。安藤宗幸さんの「羅の僧はバイクで荒稼ぎ」もこの時期よく見る光景ですが、面白いですね。日常生活の中で発見した面白い光景を句にする、これも俳句の楽しみです。

そのほか、2点以下ではありましたが、次のような句も話題になりました。

「羅着(き)いざ手弱女の戦場(いくさば)へ」(鈴木金平さん)、「うすものの内なる愁ひ透かしをり」(福田くにもとさん)、「羅を愛の如くに着こなして」(石川一洋さん)、「羅の襟元合はす佳人かな」(山田伸子さん)、「うすものやいつしか妻の顔となり」(吉崎明光)など。

7点句の鈴木金平さんの句、「梅雨寒や隣の嫁は戻らぬか」は、「梅雨寒」という季語に取り合わせた事柄が何ともユニークで俳諧味たっぷり(隣の家では深刻でしょうが)、まさに金平さんワールド全開の句でした。

15名の会員の個性が発揮された句がこれからもどんどん生まれてくることを期待しています。

次回は731日(月)、鎌倉芸術館会議室で13時から16時まで。兼題は「風鈴」(藪野詠子さん出題)。兼題1句と当季雑詠2句をご用意ください。

なお、当日は句会終了後、暑気払い(懇親会)を予定しています。

当句会への新規入会あるいは体験参加希望の方は、鎌倉稲門会事務局あてメールでお問い合わせください。


【今月の高得点句(一部添削後。同点句は兼題優先)氏名は俳号

   10点句) 羅の似合ひし父やセピア色        千葉ふみこ 

  (7点句) 梅雨寒や隣の嫁は戻らぬか        鈴木金平

   (4点句) 羅の僧はバイクで荒稼ぎ         安藤宗幸

          偏屈も有りかと思ふ捩れ花         田村昌恵

         キッチンを風抜けてゆく梅雨晴間      山田伸子

         残照の火の剣となる夏至の海        石川一洋

    (3点句)羅を粋に羽織りし(ちち)の背な         藪野詠子

         味噌煮にす鯖下す手に染みひとつ     千葉ふみこ 

            もの足りぬ膳に一皿冷奴          高吉よしえ

           黴の書に半券二枚付きしまま        吉崎明光

           泡いくつ吐けば咲き切る水中花       浜崎かづき 


                          (吉崎明光記)

                        


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2023年06月21日

第6回鎌倉歴史散策報告

     大型バスを仕立て、総勢47名で三浦・和田氏の史蹟を探訪

 2回開催している歴史散策。今回は611()に、NHK大河ドラマの「鎌倉殿の13人」でも重要な役を担った三浦・和田氏縁の史蹟を巡りました。講師は、鎌倉稲門会会員で、和田義盛直系の30代目の子孫である和田高明(昭47法学卒)さんです。

 鎌倉から三浦半島にかけては、両氏縁の史蹟が数多く点在しています。今回は、横須賀市内の近いエリアにある史蹟に絞り、大型バスを仕立てて、総勢47名で巡ってきました。

 9時過ぎに鎌倉を出発し、約30分で、三浦氏の本拠だった衣笠城址に近い最初の訪問先、横須賀市大矢部の「満昌寺」に到着。「満昌寺」は源頼朝が三浦大介義明供養のために建立した臨済宗建長寺派のお寺です。挨拶なさったご住職からバトンタッチして説明とご案内をして下さった副住職は、早稲田大学出身で横須賀稲門会の会員とのこと。建長寺で5年間修行した間は、鎌倉をくまなく托鉢して歩いたそうで、皆様も出会っているかもしれません。

 約50分、拝観と見学をし、徒歩で、三浦義澄の嫡男、平六義村を祀った「近殿(ちかた)神社」、さらに、和田義盛が父と叔父の供養のために創建し、現在は廃寺となっている「薬王寺跡」を巡り、著名な鰻屋の「うな萩」でランチを堪能しました。

食後は、「腹切松公園」へ。物騒な公園の名は、三浦氏が立てこもる衣笠城が平家の攻撃を受けた際、全員を撤退させて最後まで城守った後、隙をついて脱出した三浦義明が、運命を悟って松の根方で切腹したことに由来するもの。現在は、宅地造成に伴い、場所をずらして松を植え直し、公園になっています。さらに、三浦為継が開き、同氏の菩提寺なっている「清雲寺」(臨済宗円覚寺派)を拝観した後バスに乗車。約30分の芦名にある、金剛山勝長寿院大御堂「浄楽寺」へ向かいました。

「浄楽寺」は、和田義盛の発願により建立された寺で、義盛夫妻発願で製作された、運慶作の不動明王立像など5体が安置されています。本堂でお話しを伺った後、予約でしか拝観できない運慶仏を拝観することもできました。また、芦名は近代郵政制度の創始者であり、早稲田大学創立にも関わった、前島密夫妻が没した地で、浄楽寺には墓所があります。私達早稲田大学で学んだ者にとっての恩人である、前島密翁のお墓にお参りすることもできました。

この日は、朝から雨の予報でしたが、移動中、ほとんど雨が降ることもなく、無事、15時過ぎには鎌倉に到着しました。

                     (文:大久保真由美、写真:小林敏二)

    移動

 5➀3満昌寺.JPG 義明公像.jpg DSC_8585_004.JPG DSC_8589_006.JPG 
      満昌寺             三浦大助義明公木像       満昌寺本堂前で         昼食は「うな萩」
 7E1浄楽寺.JPG DSC_8598_005.JPG  ← 写真はクリックすると拡大します。
     浄楽寺             浄楽寺本堂前で




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2023年06月05日

第72回「りんどう句会」報告

第72回「りんどう句会」報告

(2023年5月29日(月)鎌倉芸術館にて開催)

第72回句会は見学者(体験参加)1名を含め15名の参加(内1名はメール投句)、合計45句の投句がありました。当月の兼題は前川たくさん出題の初夏の季語「若葉」                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         

今回の最高点句(9点)、鈴木金平さんの「彼の世まで消せぬ火のあり遠花火」は、の句と読むか否かで男女間で解釈が分かれました。男性陣は「これは絶対、恋の句!」と強調、女性陣からは「男性はいつまでもロマンチストだから・・・。恋の句とは読まなかった。『火』は人生においていろいろと後悔したことなどの意味と解釈した」との評。

最後に作者が「これは恋の句」として、若い頃からある人に対して引きづってきた思いを具体的に説明されましたが、プライバシーに関することなので、ここでは割愛。いずれにせよ、この句は季語の「遠花火」がとても効いている、という点では全員の意見が一致。

同じく9点句の私の句の「祭髪」は初夏の季語「祭」の傍題。古くは「祭」と言えば京都の賀茂祭(葵祭)を由来として初夏の季語となりましたが、現在は夏季に行われる各神社の祭礼の総称として使われています。

石川一洋さんの7点句、「若葉雨セーラー服が駆け抜ける」と、選外ではありましたが、「女生徒の白シャツ眩し乱れ雲」の句には、大いに盛り上がりました。

6点句の藪野詠子さんの句、「幾重にも若葉に若葉伊豆の山」は、リフレインが見事ということで点を集めました。

同じく、千葉ふみこさんの「辛き日は香水胸にひとしづく」の句は、男性にはとても詠めない感覚の句。

3点句の私の「あめれの若葉や母の野辺送り」の句は、30年近く前の5月初旬に亡くなった母の葬儀の日の思い出。雨上がりの若葉に命が瑞々しく吹き込まれているのに対して、生を終えたばかりの母の野辺送りの寂しさを対比させて詠んだものです。

同じく3点句の前川たくさんの「湯もみ」の句は、草津温泉で有名な湯もみの情景を詠み込んだもの。千葉ふみこさんの「千年の伝統」の句は英国の戴冠式を句材としたもの。

1点句ではありましたが、北村拓水さんの「樟若葉樟脳取りし土佐の里」の句は、土佐が昔「大いなる樟脳の産地」で、三菱の創設者、岩崎弥太郎が樟脳生産で莫大な利益を生み出して、土佐藩はそれで軍艦や武器を購入、のちの倒幕にもつながった、という土佐出身の拓水さんのお話も興味深いものでした(これは句会終了後の、「反省会」と称する飲み会で詳しく聞いたことも含みます)。「反省会」も楽しいですよ。それが目的で句会に参加しているという方もいます!

また、選外ではありましたが、手島廉雲さんの「母の日やヤンキーの手に赤き花」、高吉よしえさんの「角の家車の屋根に梅を干す」など、街でふと目にした情景を上手に句材として捉えたと思います。

次回は6月26日、兼題は鈴木金平さん出題の夏の季語「羅(うすもの)」です。

歳時記には、「紗、絽、上布など、薄く軽やかに織った織物、また、それらで仕立てた単衣の総称」と説明があります。特に男性には難題。兼題1句と当季雑詠2句をご用意ください。

なお、当句会への新規入会あるいは体験参加希望の方は、鎌倉稲門会事務局あてメールでお問い合わせください。

    【今月の高得点句(原句のまま。同点句は兼題優先)氏名は俳号

   (9点句) 彼の世まで消せぬ火のあり遠花火   鈴木金平

              父の背に眠りこけたる祭髪      吉崎明光 

   (7点句) 若葉雨セーラー服が駆け抜ける    石川一洋 

              住む人も取る人も無く実梅落つ    北村拓水

   (6点句) 幾重にも若葉に若葉伊豆の山     藪野詠子   

              辛き日は香水胸にひとしづく     千葉ふみこ

     (3点句) あまれの若葉や母の野辺送り     吉崎明光

            山若葉湯もみの人の草津節      前川たく

               千年の伝統の馬車若葉雨       千葉ふみこ 

             廃校に残る大樹やくす若葉       浜崎かづき

             山の宿朴の若葉に五目飯        田村昌恵 


                           (吉崎明光記)




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2023年05月27日

「第6回鎌倉歴史散策」事前読物第9回(最終回)

「第6回鎌倉歴史散策」事前読物第9回(最終回)をお届けします。

これまで連載をお読みいただきありがとうございました。

いよいよ6月11日に「第6回鎌倉歴史散策」が催行されます。

この連載を予備知識として散策いただくと、さらに興味も増すであろうと存じます。

                            副会長・幹事長小林敏二

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              落魄の一族  ――和田一族 先祖語り―― (第9回)

                             和田家30世 和田高明

南部に逃れた兄弟たちは先に逃れていた畠山の子孫(浄法寺氏)の許で家臣として血脈を繋ぐことができました。あれこれあって、いずれも南部藩士として明治維新を迎えます。畠山氏は、当初南部氏の客将でしたが、何時の頃からか南部の家臣となりました。有力な重臣でしたが、160001年の岩崎の陣での落ち度を咎められて改易され(その家臣であった我等和田一族も)、新田開発の功で御家再興を認められるまで数十年にわたって浪々の身として辛酸をなめています。これは、南部氏の外様粛清の犠牲になったものです。畠山は東北潜行時に浄法寺と名を変え、浪々の身となってからは松岡と更に改名しています。我らは、浪々の身となってからは大森と名を変えておりました。

*岩崎の陣:豊臣秀吉の小田原征伐に参陣しなかったために所領没収となった豪族の中に葛西晴信・大崎義隆・和賀義忠・稗貫廣忠等がいた。1591年、南部信直に対して起こした九戸政實の乱終結後、秀吉の奥州仕置に不満を抱いた和賀氏・稗貫氏等は、仕置軍引揚げの後に蜂起したが鎮圧された。1600年になって、領土拡大を企てる伊達政宗に扇動された和賀忠親が、旧領奪回をもくろんで岩崎城を拠点に南部氏に対して起こした反乱は、翌年南部利直によって制圧された。この岩崎城攻めの際の落ち度を咎められて浄法寺氏は改易となった。

 ほかの三浦一族の行く末について。三浦介を継承した佐原流は戦国大名に成長し三浦義同(道寸)に至りますが、北條早雲に攻められて命脈を断たれます。終焉の地は油壺の新井城でした。また、佐原流の分かれである芦名系は、奥州合戦の恩賞として与えられた会津に勢力を張り戦国大名として東北に名を馳せますが、伊達政宗に敗れ果てるのです。極め付きは石田三成です。木曽義仲を討ち取って近江山室保(長浜市石田町)を与えられた石田為久の子孫は三成に至りますが、最期は国民の知る所です。三浦一族は実に滅びの一族といえるかもしれません。

和田合戦の後日譚を一つ。『古今著聞集』にある逸話です。

和田合戦から半年ほど後、元旦のことだったらしい。年頭の椀飯(おうわん)の儀式に、御家人多数が幕府侍所に参集したときのこと。三浦義村も、当然出仕することになっていましたが、義村の出仕はやや遅れていたようです。日頃から義村の座と決まっていた上席が、下総守護千葉介成胤の子、若年の胤綱によって占められていたのです。そこに現れた義村は思わずかっとなり、

「下総の犬は、臥所(ふしど)を知らぬな」と睨みつけました。

端に振り向いた胤綱は、即座に気色も変えず言い返したのです。

「三浦の犬は、友を啖(くら)うなり」

れが同族を裏切った三浦党に対する、一般御家人の感情だったのです。

 最後に奇跡?を。

わが曽祖父は戊辰戦争の時、南部盛岡藩の兵士として、官軍に寝返った秋田久保田藩と戦いましたが、鉄砲玉に中ることなく生き残っています。また、第二次世界大戦においては、わが父は海軍で朝鮮航路の商船に乗って行き来していましたが、船が機雷に触れて沈没したものの無事で、沖縄戦線に行かされずに済みました。父の兄は矢張り海軍で激戦のラバウルに行きましたが無事帰国を果たしています。弟は陸軍で樺太50度線を守備し、ソ連と戦いながらも生還。父の甥(和田家30代)と母方の従弟は志願して予科練に行きましたが、出撃前に終戦となり生還。このように5人出征して誰一人弾に中ることなく無事生還したのです。先祖から一貫して不動尊・毘沙門天のご加護が続いていると申せましょう。

<了>


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2023年05月24日

第51回ゴルフコンペ報告

   4年ぶりのコンペ開催 やはりリアルはいいね 鎌倉稲門会ゴルフ同好会

 コロナは収束模様、連休明けの5月10日(水)4年ぶりのコンペ(第51回)を鎌倉パブリックゴルフ場で開催し14名が参加した。

「お元気でしたか?」「あの方のお名前は?」「今年初めてクラブを振るよ」「久しぶりだから、練習場に通ったよ」「来週、コンペがあるから練習のつもり」と、コンペの始まる前から優勝を目指した舌戦の開始。

 新村幹事からルール説明のあと、全員の集合写真と組毎の写真を撮っていよいよスタート。   写真1改.jpg 写真2改.jpg 写真3改.jpg 写真5改.jpg 写真4改.jpg 一番ホールティ―ショットで220Y地点の黄旗越えが2名。各カートではリアルに全員のスコア状況が把握できる。5番ホールまでパープレイが2名。レベルが高い。

 初参加の川喜田 尚氏(S55年政経)は「このたび第51回鎌倉稲門会春のゴルフコンペに初めて参加させていただきました。鎌倉稲門会からいろんな活動のご案内をいただいてもなかなか予定があわず、うらやましく眺めていました。今般のゴルフコンペは4年ぶりの開催とのこと、一度プレーしてみたかったゴルフ場、日程的にも大丈夫と条件がそろって楽しみで仕方がないエントリーでしたが、なんと体調を崩し泣く泣くいったんはキャンセル。あきらめきれず新村幹事にお願いし松本代表のご理解も得てリタイアありの条件付きでお仲間に入れていただきました。当日は、これ以上ない絶好のゴルフ日和。諸先輩の楽しく貴重なお話しやスーパープレーの数々に刺激され、また皆様にお気遣いいただき、おかげさまで18ホール完走できました。スコアも5050100点満点(?)。体力回復してまた次回参加させていただければ幸いです。本当にありがとうございました。」との感想。

 ゴルフは楽し。稲門会は楽し。森 一到さん(S59政経)がネット69.4グロス773641)で優勝。ベスグロも獲得。次回の秋季コンペは10月20日(金)、鎌倉パブリックで。なお、8月26日(土)に納涼カラオケ大会を実施予定である。ゴルフを卒業された諸先輩の参加を期待

したい。

 写真6改.jpg

        はつなつの稲門コンペコロナ飛ぶ   

   パーティでのビールなしでも和む顔  

   丘の上芝から樹から風薫る

(松本賢悟S51理工 記)



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2023年05月23日

第71回「りんどう句会」報告

第71回「りんどう句会」報告

(2023年5月1日(月)鎌倉芸術館にて開催)

第71回句会は13名の出席、1名のメールによる欠席投句で、一人3句ずつ全42句の出句でした。当月の兼題は浜崎かづきさん出題の春の季語陽炎です。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  

今回の最高点は、浜崎かづきさんの句、「身の上を問はず語りの遍路宿で、9点を獲得しました。選評では、「デジャビュの句。多くの類句がありそうではあるが、句としてはきちんとまとめられている良い句」という感想がいくつも述べられました。かづきさんの実体験に基づく句ということです。

7点句の田村昌恵さんの句は、酒の香りのする酒蔵の並んでいる街の様子が映像として目に浮かぶという選評がありました。この句では、上五の「陽炎に」は、つかみどころのない陽炎の特徴がそれ以下の「酒の香りや蔵の街」との取り合わせとして詠われています。

同じく7点句の山田伸子の句は、春といっても楽しいことのみではなく、門出を前にした若者の不安や揺れる心がよく表現されているとの選評がありました。特に、「桜どき」という下五の季節感がとても効いているとの評もいただきました。

6点句は、吉崎明光さんの句で、同世代、しかも早稲田の同窓生で、いまだに某ビール会社や住宅メーカーのCMなどに出演するなど現役で活躍している女優の吉永小百合さんと「昭和の日」という季語の取合せがはまっているとして、多くの仲間の心をつかんだようです。明光さんは、学生時代、図書館で偶然隣の席に座っていた彼女に気が付いたときの思い出をいかにも嬉しそうに披露していました。

次回は5月29日、兼題は前川たくさん出題の夏の季語「若葉」です。兼題1句と当季雑詠2句をご用意ください。

 当句会への新規入会あるいは体験参加希望の方は、鎌倉稲門会事務局あてメールでお問い合わせください。

【今月の高得点句一部修正、同点句は兼題優先)氏名は俳号

(9点句)  身の上を問はず語りの遍路宿        浜崎かづき

(7点句)  陽炎に酒の香りや蔵の街          田村昌恵

       青年の門出の憂ひ桜どき          山田伸

(6点句)  息永き吉永小百合昭和の日         吉崎明光

(4点句)  祖父譲り負けん気顔の一年生        鈴木金平

 百千鳥音叉ひとつの調律師         前川たく

(3点句)  かげろふの不思議を問ひし幼なき日     高吉よしえ

 寺の脇蝌蚪湧く池面さんざめく       千葉ふみ子

                                   (山田伸子記)





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2023年05月20日

「鎌倉歴史散策」事前連載読物第8回

鎌倉歴史散策」事前連載読物第8回をお届けします。

今回は、この連載読物の中で終盤のクライマックスと言えます。著者の筆も一層冴えわたります。

6月11日(日)開催の「第6回鎌倉歴史散策」まで間もなくとなりました。

まだ席にゆとりがありますので、多数の方の参加お申し込みをお待ちいたします。

全行程、貸し切りバスでご案内します。昼食付、参加費は一人5,500円です。

                                       副会長・幹事長 小林敏二

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             落魄の一族  ――和田一族 先祖語り―― (第8回)

                             和田家30世 和田高明

 若宮大路東側の北端に北條泰時邸があり西の北端が土屋義清邸、その南隣が和田義盛の舘でした。建暦3年(1213)5月3日決起の予定が北條方に知られ、2日早朝のうちに三浦義村は義時の威嚇に屈して離反することになりました。北條方は泰時の指揮のもとに夕刻先手を打って和田邸に奇襲をかけたのです。驚いたのは和田の武将達でしたが、すぐに反撃に出て泰時邸を制圧すると、北條勢を追って義時の舘(現宝戒寺)の攻撃に移ったのです。しかし、義時舘は厳重な防備を固めていました。細かな戦の経緯は省きますが、義時は大江広元と共に実朝を奉じて法華堂に避難していたのです。三郎義秀の果敢な攻撃にもかかわらず、既に義村は北條方に寝返っていたため将軍確保はできぬこととなり、和田軍は反乱軍となってしまったのです。和田方にとって予定外の1日目は初手から齟齬をきたし、由比ヶ浜で夜を過ごすことになりました。

 明けて5月3日、早暁から小雨が降りだしていましたが、寅の刻頃横山党が着陣したのを機に、和田方の士気が再度高まり、若宮大路を北に攻め上がっていきました。危機感を抱いた義時は、御教書を作成し実朝の花押を付して、様子見をしていた武士団に次々と届けたのです。これにより、和田方が頼りにしていた千葉介成胤麾下の下総武士団、西湘武士団等が北條方に加わってしまいました。なかなか目的を達することのできない義盛は、和田軍をまとめると最後の決戦とばかり若宮大路を攻め上がっていきました。酉の刻、遂に四郎義直が討ち取られ、最愛の息子を失った義盛は生きる望みを失って、とうとう討死したのです。二人の死を近くで見ていた五郎義重と七郎秀盛は、満身創痍の身で最早これまでと自刃して果てました。いかにも早まった行為でした。しかし、太郎常盛、次郎義氏、三郎義秀は活路を見出そうと奮戦していました。六郎義信もそれに従いました。父の遺骸を背負った三郎を中にして南防御線を突破した一団は由比ヶ浜に進出。係留されていた舟に義盛の遺骸を乗せると義秀に託し、舟が離岸するや横山党を含めた残りの武将達は稲村ヶ崎から腰越を抜けて甲州方面へと脱出したのです。かくして和田一族は敗退してしまいました。

 和田合戦で義盛は奮戦の末斬り死にしましたが、痛みを感じなかったと言われています。その代わり、義盛建立の安楽寺の本尊薬師如来(安楽寺は廃寺となり現在天養院に薬師三尊像として祀られている)が血を流しており、また、毘沙門天(清雲寺の毘沙門天像)が敵の矢を受け止めていたという話が伝えられております。

 その後について語ります。義盛の遺骸を運んだ三郎義秀は、江戸湾の入口で安東船に遭遇し、彼らの庇護の許に外房小湊に上陸して義盛を荼毘に付すと東北へ向かいました。荼毘の地は現在の誕生寺のある場所だということですが、今では痕跡も残っていません。そして秋田土崎から川辺郡岩見澤に落ち着き、その後いろいろあって津軽に移り住むことになり現在に至ります。太郎常盛・次郎義氏・六郎義信は次郎の領地都留郡古郡(ふるごおり)へ落ち延びました。北條方の和田生存者狩りは執拗に行われましたが、常盛、義氏は主人の身代わりとして切腹した家臣の首を鎌倉に送り届けたのです。

次郎と六郎は合戦直前に鎌倉を抜け出していた常盛の嫡男朝盛の周旋で、承久の乱の後、彼と共に南部へ潜入することになります。常盛の最後の妻は、畠山重忠の女千鶴だったとのことで、皆で合議の上、常盛自身は(三浦寺改め)福仙寺の住職として残り、嫡男の朝盛のみ義氏・義信と共に東北へ潜入し畠山(浄法寺氏)を頼りました。和田と畠山との関係はかなり濃厚だったのです。<以下最終回へ>

和田・畠山関係

・三浦義明―┬―杉本義宗―――和田義盛―――和田常盛―――和田朝盛

      └―女(重忠母)          

┌―女(義宗母)                 

  └―秩父重弘―――畠山重能―――畠山重忠―┬―女(千鶴)                                                                 └―畠山重慶――-浄法寺重基

 8➀和田合戦時の鎌倉地図.tif 8A95.5.4和田合戦陣羽織.jpg⇐クリックしてください。

                           

                                 <以下次号>



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2023年05月19日

地引網がタウンニュースの記事になりました。

地引網がタウンニュースの記事になりました。

 5月3日に行った「地引網」が、タウンニュース5月19日(金)号に取り上げられましたので、
ご紹介します。                                                       
                                       小林敏二

       タウンニュース20230519・地引網.PDF ←クリックしてください。










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