「鎌倉歴史散策」事前連載読物第8回をお届けします。
今回は、この連載読物の中で終盤のクライマックスと言えます。著者の筆も一層冴えわたります。
6月11日(日)開催の「第6回鎌倉歴史散策」まで間もなくとなりました。
まだ席にゆとりがありますので、多数の方の参加お申し込みをお待ちいたします。
全行程、貸し切りバスでご案内します。昼食付、参加費は一人5,500円です。
副会長・幹事長 小林敏二
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落魄の一族 ――和田一族 先祖語り―― (第8回)
和田家30世 和田高明
若宮大路東側の北端に北條泰時邸があり西の北端が土屋義清邸、その南隣が和田義盛の舘でした。建暦3年(1213)5月3日決起の予定が北條方に知られ、2日早朝のうちに三浦義村は義時の威嚇に屈して離反することになりました。北條方は泰時の指揮のもとに夕刻先手を打って和田邸に奇襲をかけたのです。驚いたのは和田の武将達でしたが、すぐに反撃に出て泰時邸を制圧すると、北條勢を追って義時の舘(現宝戒寺)の攻撃に移ったのです。しかし、義時舘は厳重な防備を固めていました。細かな戦の経緯は省きますが、義時は大江広元と共に実朝を奉じて法華堂に避難していたのです。三郎義秀の果敢な攻撃にもかかわらず、既に義村は北條方に寝返っていたため将軍確保はできぬこととなり、和田軍は反乱軍となってしまったのです。和田方にとって予定外の1日目は初手から齟齬をきたし、由比ヶ浜で夜を過ごすことになりました。
明けて5月3日、早暁から小雨が降りだしていましたが、寅の刻頃横山党が着陣したのを機に、和田方の士気が再度高まり、若宮大路を北に攻め上がっていきました。危機感を抱いた義時は、御教書を作成し実朝の花押を付して、様子見をしていた武士団に次々と届けたのです。これにより、和田方が頼りにしていた千葉介成胤麾下の下総武士団、西湘武士団等が北條方に加わってしまいました。なかなか目的を達することのできない義盛は、和田軍をまとめると最後の決戦とばかり若宮大路を攻め上がっていきました。酉の刻、遂に四郎義直が討ち取られ、最愛の息子を失った義盛は生きる望みを失って、とうとう討死したのです。二人の死を近くで見ていた五郎義重と七郎秀盛は、満身創痍の身で最早これまでと自刃して果てました。いかにも早まった行為でした。しかし、太郎常盛、次郎義氏、三郎義秀は活路を見出そうと奮戦していました。六郎義信もそれに従いました。父の遺骸を背負った三郎を中にして南防御線を突破した一団は由比ヶ浜に進出。係留されていた舟に義盛の遺骸を乗せると義秀に託し、舟が離岸するや横山党を含めた残りの武将達は稲村ヶ崎から腰越を抜けて甲州方面へと脱出したのです。かくして和田一族は敗退してしまいました。
和田合戦で義盛は奮戦の末斬り死にしましたが、痛みを感じなかったと言われています。その代わり、義盛建立の安楽寺の本尊薬師如来(安楽寺は廃寺となり現在天養院に薬師三尊像として祀られている)が血を流しており、また、毘沙門天(清雲寺の毘沙門天像)が敵の矢を受け止めていたという話が伝えられております。
その後について語ります。義盛の遺骸を運んだ三郎義秀は、江戸湾の入口で安東船に遭遇し、彼らの庇護の許に外房小湊に上陸して義盛を荼毘に付すと東北へ向かいました。荼毘の地は現在の誕生寺のある場所だということですが、今では痕跡も残っていません。そして秋田土崎から川辺郡岩見澤に落ち着き、その後いろいろあって津軽に移り住むことになり現在に至ります。太郎常盛・次郎義氏・六郎義信は次郎の領地都留郡古郡(ふるごおり)へ落ち延びました。北條方の和田生存者狩りは執拗に行われましたが、常盛、義氏は主人の身代わりとして切腹した家臣の首を鎌倉に送り届けたのです。
次郎と六郎は合戦直前に鎌倉を抜け出していた常盛の嫡男朝盛の周旋で、承久の乱の後、彼と共に南部へ潜入することになります。常盛の最後の妻は、畠山重忠の女千鶴だったとのことで、皆で合議の上、常盛自身は(三浦寺改め)福仙寺の住職として残り、嫡男の朝盛のみ義氏・義信と共に東北へ潜入し畠山(浄法寺氏)を頼りました。和田と畠山との関係はかなり濃厚だったのです。<以下最終回へ>
⫷和田・畠山関係⫸
・三浦義明―┬―杉本義宗―――和田義盛―――和田常盛―――和田朝盛
┌―女(義宗母) ‖ ‖
└―秩父重弘―――畠山重能―――畠山重忠―┬―女(千鶴) └―畠山重慶――-浄法寺重基
<以下次号>
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